種は、常に君の傍で
 「生きている」ということは、
 「盛大な死」という「収穫祭」を開くための
 前段階の、農作業かもしれない。

 己の地を耕して、土台をつくる。
 たとい、それが「夢」であろうと、
 それが「見返りの期待」であろうと、
 人は、けっきょく、各々の為に、耕しているんだ。

 わずかな可能性でさえも信じて、
 「下手な鉄砲もなんとやら」の精神にのっとり、
 かつて僕らは、種をばら撒いた。
 それは、必死に歩きながらのできごとだったから
 君は、憶えちゃいないんだろうけれど。

 多分、「人のため」っていうのは名目だろう。
 「他人の為に尽くしている」という、自己満足を満たしたいだけか、
 あるいは、名目上か。
 とにかく、よくよくかんがえれば、すべて自分の為に行っているわけだ。
 けっきょくのところ、それらの違いは、
 その作業に名付けた名前の差異だけでしかない。

 小作人は、大地主にどうあがいても匹敵できないのは、自明なんだ。
 残念なことに、天は「生まれながらにして」差異を設けることを「是」とした。
 そう、本来なら、「完全な平等社会」では、人間はいきてゆけない。
 なぜって? 云わなくとも、わかるじゃないか。 昔の社会主義連邦をみればわかる。
 一律同じ下では、生産意欲が低下するのは必然。
 或る条件下の偶然、ということでは決してない。
 だから、「誰でもみんな平等の社会を」なんて偽善だということは、直ぐわかる。

 迫りくる欲望に、唾を飲んだ。
 それでも、唯、手を拱いているだけしか出来ない時が、何度もあった。

 襲い掛かる悲しみに、涙を呑んだ。
 そうして、唯、打ちひしがれることを耐えるしかできないときが、幾度もあった。

 だが、そのながれおちた涙で、したたかに育つ種もあるだろう。
 その悲しみの塊を、発芽の強さに変換して、やがては大きくなるだろう。
 それは、君に似つかわしいものだったろう。

 だから、大丈夫。
 君のまいた種には、無駄なものはないはずだ。
 だから、諦めないで。
 その手で、収穫を終えるまでは。

 天は、生まれながらに差異こそ設けたものの、
 生まれたのちには「差異」は設けない。
 枯らすも、育てるも、君次第なのだ。

 種は、常に君の傍にあり、君の傍にこそ、芽は生えうる。
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