ここでは、何故「暇人」が詩や小説といったテキストを書こうと思ったのか、その動機や背景を書いていきます。 詩や小説を読む際の参考にでもなればいいかなぁ、なんて思いつつ書き連ねましたのでよろしければお読み下さい。
当テキストサイト「HIMAJINISM」は2005年4月7日に成立しました。 まだ開設してから一年も経っていない状態ですけれど、のんびり気ままに細々と更新しながら運営しています。
ここを管理している「暇人」という人物はプロフィールで説明しましたので割愛します。 さてそんな「暇人」ですけれど、小学生の頃から詩の魅力に取り付かれていたんですね。
確か二年生頃のことでしょうか。 国語の授業で人生初の「詩」の授業を受けました。 直感的に「これだ」って思いました。 本当に何となくなんですけれど・・・
その頃は別段リズムとか韻は考えていませんでした。 単なる「擬人化」の詩、いや詩と呼ぶことすらおこがましいものだったかもしれません。
たとえば、ありきたりな例でいうんであれば「消しゴム」が意思を持っていたらどう感じるだろうか、とか。 鉛筆ってどんどん削られて可哀相だなぁ、とか幼稚なりに考えてましたよ。 勿論、今は「鉛筆が可哀相だ」とかは思いませんよ。
まぁそんな風に考えながら物事を捉えていたことで、生意気で屁理屈なガキんちょになりました。
そのガキんちょは、ある出来事がきっかけになり「生と死」というものを深く考えるようになり、果ては「人間」ってどんな生き物だろう?だとか哲学者きどりに考え出すに至ったんです。
そしてそれ以来、趣味の一つになったわけです。
趣味で始めた頃から、書いた物を何かしらの形で残そうと考えていたんです。 とにかく、ノートでも何でもいい。 いつか自分でそれを見直せれば、それだけでよかった。 でも、そんな場所なんて容易に見つかるわけがない。 書いた物は増えていくばかり。
まずは葉書大のメモ帳にひたすら綴りましたね。 思いつく限り、ひたすら。 それでも、それは駄目だった。 何故なら、黒鉛は擦れて消えてしまうから。 古くなったものは擦れてきて、段々と読めなくなってきてしまう。 これでは意味が無い。
じゃあ、データにしてみてはどうだろう? wordとして残すなら、ハードが逝かれるまではきっと褪せずに残る。 そうだ、そうして取っておくことにしよう。
そんなときでした。
エースター群島管理人のモヤイさんと知り合ったのは。
エースター群島の掲示板で「テキストサイトでもやってみれば」と言われたのが直接的なきっかけかもしれません。
しかしその当時の暇人は、ホームページというものには一種の「先入観」というのがありまして。 その気持ちっていうのは、正直にいえば嫌悪に近い感情だったでしょうね。 それでも、色々と談話していくうちにその先入観も薄れていきまして。 「テキストサイトでもやってみるか」という結論になり、現在に至ります。
今後も、テキストサイトっぽいことを頑張ってやっていったりするつもりです。